生命の背後にあるもの
人生に大きな出来事がやってきたり、
身体に病気などのサインが現れるとき、
いろんな解釈がされます。
「宇宙からのメッセージ」
「生活習慣や性格の結果」
「本来の自分を生きていない証拠」
「左側は女性性、右側は男性性」
「肝臓は怒り、肺は悲しみの蓄積」
などなど。
でも、本当にそうなのか?
人間界の想像範囲でしかない法則に当てはめられるほど、
生命は単純構造なのか?
だって、この宇宙の現象のうち、
人間の頭で認識できることなんて、
ほんの3%にも満たないと言うじゃありませんか。
身体という、壮大なる宇宙の仕組みを、
ちっちゃな頭で解釈しようなんて、
到底無理というものです。
病気=悪=排除するもの、ではない。
かといって、受け入れることを強制するものでもない。
克服したっていい。
共存したっていい。
人生で普遍的なものであるにも関わらず、
タブーとされている「生(=性)老病死」。
醜いとされるもの。
悪とされるもの。
みな、ひとつの状態にすぎないと感じています。
0コメント